事例 おのみち河野屋 リブランディング
おのみち河野屋の女将である吉田さんとは、知人の紹介で出会いました。以前は「河野民宿尾道」という屋号で、尾道で十数年旅館として営業されていました。新たなテーマカラーやロゴの打ち合わせをするうち、もっと重要な、旅館運営の根本的な部分について相談が展開していきました。売り上げが半減して厳しい経営状況だったので、何か手を打たなければという危機感をもっておられたのだと思います。吉田さんに自社のアピールポイントを伺った際には、「なんでもやるけどなんにも特徴がないのが特徴かな」と自虐的に言われて。まさに日本全国によくある、小規模旅館の衰退パターンだなと感じました。これはまず維持存続のための売り上げ確保が急務と心得たのです。
では今ある資源の中で何が使えるかリサーチした時、出てきたのは人の力です。料理長をはじめとするスタッフは仕事が速く、この処理能力があるなら、今の仕事をしながら余剰時間に他の仕事もできるのではと考えて。不利な立地に建つ旅館では、かつてのようにお客様を待っているだけのスタイルではもはや難しい状況、それなら旅館の外へ攻めていくしかない。飲食中心の現有戦力で勝負できる飛び道具は何かを考えた時、数多く拡散できるお弁当でいこうということになりました。これまで高単価の会席料理を作っていたのが、数百円単価のお弁当を作るということに最初は抵抗を感じておられたようですが・・・。
お弁当のプロジェクトを考えている最中、尾道に新しくできる農協病院(JA尾道総合病院)のレストラン運営業者を選ぶというコンペの話が舞い込んできたんです。このタイミングでそういう話が来ること自体、吉田さんは何か運を持っていると感じましたね(笑)。新築の病院で、基本的な工事設備費は病院が持ってくれるといういい話でした。ただ、全国的にも実績のあるフランチャイズ店など強力なライバルがコンペに参加するという事で、地元の会社では勝てっこないという空気が漂ってました。そこで私たちは、コンペ参加の他社が出せない切り口で勝負したんです。地元ならではの強みを生かして地元食材を尾道から調達して作る、尾道の地産地消レストランの提案です。地元の素材を使った安心安全な食提供というコンセプトで打ち出したところ、それが採用されたんです。そこから安定した売り上げが毎月入るようになり、経営の足場となる事業ができました。
そこからブランドビジュアルを作りながら、外へ攻めていく売りの部分=河野屋のエッジを作っていこうという流れになりました。具体的には地元の名物になるような商品を作ろうと。一般的に駅弁や空弁はありますが、これまで船弁というのは聞いたことがありません。尾道は海に面している町で交通の便としても船が使われているんですよね。そこで北前船の停泊していた昔から船内で食べられていたであろう押し寿司をメインにして、「尾道船弁」を作ろうと提案しました。あたかも昔から尾道にあったものというイメージで、パッケージには古活字を使ったビジュアルを作り、商品化しました。
吉田さんとは、いつか尾道船弁が地元名物となって尾道のデパ地下に出店する事を目標にしていました。最初は船弁のショップを観光客を対象に、海岸通りの物件で店舗を作ったんですが、正直ここは成功とは言えませんでした。リサーチ不足のまま見切り発車してしまい、場所的に観光客が集まりにくいことと、尾道の人が日常的に買うには少し高めの値段設定ということで、平日の店舗での売り上げがどうしてもへこんでしまうんです。大いなる反省と経験を与えてくれたこの店舗自体は3年程で閉じることになったのですが、単価や商品構成、コスト等のノウハウを得ることができました。しかしこの店舗があったことで、尾道にただ一つのデパートである福屋さんからお声をかけていただいて、デパ地下に移転出店が叶ったんです。
病院レストラン事業という安定した売り上げもあり、そろそろ旅館本体をリニューアルする時期という流れになりました。建物等の立体も設計プロデュースできることが私の強みにもなっています。ただ苦しい予算面もすべて把握していたので、建替えなどの大規模リニューアルは無理と判断し、厨房を中心に一点集中型のリニューアルの提案をしました。この施設で一番大事なのは、生産プラントでもある厨房なんです。そこで尾道初のHACCPという衛生管理基準を導入しながら、ワンランク上の衛生的な厨房を作るという独自化を目指しました。このリニューアル後に、今度は尾道学園さんの学食を担当してくれないかという話が来たんです。衛生面に配慮できる会社であれば、生徒たちに美味しくて安全な食事を出してくれるだろうと選んでいただけたようです。厨房のリニューアルがきっかけで、また一つ安定した売り上げにつながりました。
旅館の厨房リニューアルで残った少ない予算で、各種デザイン、ファサードや内装に手を入れていきました。旅館本体リニューアルが、「河野民宿尾道」から「おのみち河野屋」へ生まれ変わる再生プロジェクトの集大成なんですが、なにぶん予算がありません。予算が無いなら知恵かけろってスタンスで臨みました。
河野屋さんの先代は、かつて「河野船食」という屋号で船に食材を納める仕事をされていました。女将となった吉田さんの幼少からの遊び場所も、海のそばであり尾道の港だったのです。そんな歴史、思い出をベースに据えた、海と水をモチーフにしたデザインを、シンボル~ロゴタイプ~ファサード~内装~販促物に統一利用しました。グラフィック柄を暖簾や建具にも用いて、低予算ながら広い面積に装飾を施しました。
河野屋さんとは長期契約で4年半の間、関わらせていただいきました。ひとつひとつ新しい事業に取り組んだ結果、プロジェクトスタート前より売り上げは4倍に増えました。外に打って出る、ということからスタートしたブランディングも、試行錯誤の後に上昇気流を掴みましたが、もし何もしていなかったら自然に売り上げが落ちて、手遅れになっていたかもしれません。それも我々の提案を吉田さんが信じてくれて、そのように行動してくれたからなんですよね。信頼関係というのは事業を成功させる上で大切な要因です。
私自身は前職の広告代理店で、広告中心の仕事をしていました。でもどうせやるならもっと深く関わり、ソフトからハードまで一貫して担当して、すべての完成まで見届けたいという思いで独立しました。最終的な結果まで関わることで、責任を持ちたいんですよね。Webだけ店装だけとか、何かの区分だけでブランディングを導くのは難しい。それが商業施設であれば、平面から立体まで総合的にデザインできてこそのブランディングだと考えています。業務の根本にあるのはブランディングデザインなので、ヒアリングから始まり、リサーチ、フォーカス、コンセプトワーク、デザインという流れでお仕事をさせてもらっています。社名のDCLaboは「Deep Colaboration Laboratory」から来ています。「深く共同制作する」という意味ですが、協力してくれる仲間ともお客様とも、より深い関係性をもって永く受け継がれるものをつくっていきたいと思っているんです。
「地方の、小さな会社の、ブランドを育てる専門家」として根本から携わり、ロングセラー(30年続く商品あり)や、差別化+独自化=らしさ、等々を一緒に創りたいです。
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