事例 パズル「ハノイの塔」
しみず木工所の鍋谷氏とは、大学院でユニバーサルデザインの研究を続けている中で知り合いました。私はWebやDTPなどのデザインの仕事だけでなく、研究者として様々な障がいのある環境を支援する活動を行なっています。そして、研究テーマの一つである発達障がいの幼児を対象とした研究調査で、教育関係者や保護者から「情動を育てるような玩具が欲しい」という意見がありました。実際、国内の玩具市場では、表現力や認識力、想像力を学べる知育玩具は多いのですが、情緒を育てることをコンセプトとした玩具は海外に比べて少ないと感じました。そこで、日本の風土や文化を感じることのできる玩具として、伝統模様を使用した積み木のアイデアを考えました。この積み木『青海波』の製作には高度な技術が必要なため、様々な企業や職人を探していたところ、卓越した木工職人である鍋谷氏と巡り会えました。
いつもプロジェクトでは、なるべく現場の見学や打ち合わせの時間を設けるようにしています。それは、デザインの工程では、観察や対話からの気づきがとても重要なことだからです。積み木『青海波』でも、製作に入る前に鍋谷氏とかなり時間をかけて見学や打ち合わせを行いました。そして、職人とデザイナーという立場を互いに尊重しながら意見交換を行い、素材や加工、塗装について何度も試行錯誤を繰り返することによって、積み木『青海波』は完成しました。どんなアイデアも形にするには素材・技術・場所が必要不可欠ですが、それに加えて相手とのコミュニケーションによって築き上げる信頼関係がとくに大事だと思います。お互いを尊重したり刺激し合う信頼関係は、新たなアイデアを生み出すきっかけにもなります。次に紹介するパズル『ハノイの塔』は、そのような職人との信頼関係から生まれたオリジナル製品です。
パズル『ハノイの塔』は昔から世界中で遊ばれている知育玩具です。このパズルは、3本の棒を立てた台に大小の穴の空いたコマを差し込んで重ねて、端から端まで移動させるものです。今回のパズル『ハノイの塔』のリデザインでは、コマの形に工夫を凝らすことで、棒がなくてもコマを重ねることができる構造になっています。棒が無いので安全に遊べるだけでなく、コンパクトに収まるので置き場所には困りません。一見するとオブジェのような形でインテリアとしても置くことができると思います。素材には肌触りや耐久性を考慮した木材、そして、着色には口に入れても安全な染色を用いています。このように木工職人によって細部に渡ってこだわり抜いて作られたパズル『ハノイの塔』は、知育玩具から子供や大人まで誰でも楽しむことのできるユニバーサルデザインに生まれ変わりました。
デザインの仕事は、単にモノづくりで終わるのではなく、様々なメディア(媒体)でどのように製品をPRしていくのか考えることも重要です。パズル『ハノイの塔』では、職人による手作業を象徴したしみず木工所のロゴタイプをはじめとして、製品を紹介するリーフレットやパッケージなどのビジュアルデザインを手掛けました。また、Webサイトも制作していますが、あえて公開する情報を最小限にまとめてシンプルな構造にしました。必要以上の情報や複雑な機能はかえってユーザーを混乱させてしまう可能性があるからです。パズル『ハノイの塔』のモノづくりとビジュアルデザインのコンセプトは、シンプルで誰にとっても使いやすいユニバーサルデザインです。価値観や生活習慣が多様化している現代において、他者を理解し尊重するためのユニバーサルデザインがこれからも求められるのではないでしょうか。
本来、デザインはもっと身近なものだと思います。なぜなら、毎日、私たちはモノやサービスの問題を解決するためのデザインに囲まれて生活しているからです。そして、それらは私たちの人生を豊かにするためのものでなければならないと考えています。私が目標とするデザインとは、単に日常生活における利便性を追求するのではなく、私たちに感動を与えたり、気づきを教えてくれるようなデザインです。そのようなデザインを実現するために、いつも心がけていることは“Just for fun”という言葉です。その意味は、デザイナーだけでなくモノづくりに関わる全ての人がデザインの楽しさを感じることです。これからも、“Just for fun”を大切にして、教育機関での研究活動を主軸としながら、産学協同プロジェクトを通して若い学生の感性やアイデアを生かしたモノづくりに関わっていきたいと考えています。